
#39 同志社女学校の第一期隆盛期
女学校の運営が比較的円滑に行われていた時期がある。それは明治12年(1879年)のことである。もともと女性宣教師がスタークウェザー一人だったことが人材不足を生じさせていた。本来ならば明治10年にH・F・パーミリーとJ・ […]

#38 新島襄の女子教育観
新島の女子教育観はと尋ねられたら、私は新島の明確な女子教育観は見出しにくいと答えるだろう。同志社大学のみならず、同志社女子大学の校祖ともされている新島に対して、それはあまりにも無礼だとお叱りを受けそうだが、そのことは既 […]

#37 同志社は覚馬が作らせた京都の諸学校の一つ
同志社女子大学には看護学部が設けられている。これは大河ドラマ「八重の桜」で新島八重が看護師として活躍していたことを受けたかのように、2015年4月に開設された新学部である。 もともと同志社には京都看病婦学校があった。 […]

#36 もう一つの創立記念日
同志社大学の本格的な共学化は、第二次世界大戦後の新制大学への切り替えに際して行われた。それは昭和22年(1947年)に教育基本法とそれに基づく学校教育法が公布されたことによる。これによって長い間、日本の中高等教育が守っ […]

#35 同志社女子専門学校から同志社女子大学へ
大正時代になって、大きな教育の転換期が訪れる。それ以前は男女別学で、男子校と女子校に別れていたものが、ようやく共学化が進んだからである。大正9年(1920年)に大学令が施行されたことで、同志社大学は私立大学の中ではいち […]

#34 デントン先生
同志社の創立後に教師として赴任したことで、始まりの歴史には名をとどめていないものの、開校後の教師の中には同志社の歴史や繁栄を語る上で絶対に外せない人たちが何人もいる。その例として同志社英学校のドウェイト・ウィットニー・ […]

#33 「自由を護った人」
村上元三著「自由を護った人─放送劇台本─」をご存じだろうか。これは昭和22年の『高等国語二下』に、教材として掲載されているものである。そこで主に教科書を扱う福島の古本屋さんにメールで問い合わせてみたところ、すぐに「複数 […]

#32 「心和得天真」の書
新島研究家・本井康博先生の著書『ハンサムに生きる』からは、教えられることが多い。その一つに「心和得天真」がある。それは「新島襄のことば」として、新島襄と八重の書が並べて掲載されているところである。なんでもないコラムに見 […]

#31 八重夫妻とみつ坊
明治20年、新島夫妻は北海道で静養している。友人の大島正健には満(みつ)坊(正満)というやんちゃな三歳の息子がいた(1884年6月21日生まれ)。子供のいない襄と八重は、その満坊を我が子のようにかわいがった。二人にとっ […]
執筆者プロフィール
吉海直人(よしかいなおと)
同志社女子大学名誉教授。
1953年長崎県生まれ。國學院大學、同大学院を修了。博士(文学)。
専門は平安時代の文学、特に源氏物語や百人一首の研究をライフワークとしている。
同志社女子大学日本語日本文学科に35年勤務し、2024年3月に定年退職。
著書に『源氏物語入門〈桐壺巻〉を読む』(角川ソフィア文庫)、『百人一首の正体』(角川ソフィア文庫)、『定本新島八重伝』(武蔵野書院)などがある。
