
#31 八重夫妻とみつ坊
明治20年、新島夫妻は北海道で静養している。友人の大島正健には満(みつ)坊(正満)というやんちゃな三歳の息子がいた(1884年6月21日生まれ)。子供のいない襄と八重は、その満坊を我が子のようにかわいがった。二人にとっ […]

#30 新島夫妻の家庭生活
晴れて夫婦となった二人は、積極的に西洋的なクリスチャン・ホームを営んだ。二人の新居は新島の借家(西京新烏丸頭町40番地)で始まった。ここは同志社英学校の開校日に祈祷会が開かれた家でもある。それは後の新島旧邸のすぐ近くだ […]

#29 襄と八重の結婚
夏の修行が認められたことで、明治8年10月15日に八重は襄と婚約している。かつて襄に八重との結婚を勧めた槙村正直だが、仏教界からの激しい圧力を受けたこともあって、八重は11月18日付けであっさりと女紅場を免職になった。 […]

#28 明治8年の八重の動向
京都府立歴彩館には、明治初期の貴重な公文書が大切に保管されている。ほとんどは写しだが、それでも重要文化財に指定されている。その中に八重の貴重な資料がいくつか埋もれていた。まずは八重の辞令があげられる。 山本やゑ 女紅 […]

#27 新島襄とクラーク
みなさんは「ボーイズビーアンビシャス」といったクラーク博士のことはご存じであろう。ではそのクラークが新島襄や同志社と関係があることはご存じだろうか。ただし注意が必要である。というのも同志社大学にはクラーク記念館があるか […]

#26 妻としての八重
1878年(明治11年)9月7日に新島新邸が完成した。そこには広い庭があり、新島はそこに畑を作って西洋の農作物を栽培している。イチゴ・梨・リンゴなどの果物を中心に、アスパラガスなど日本では手に入りそうもない珍しい野菜がい […]

#25 八重と裏千家茶道
同志社と裏千家茶道の関わりは深いものがある。そのきっかけは八重が築いたといえそうだ。八重が本格的に裏千家茶道を習ったのは、襄が亡くなって4年後の明治27年からである。かつて八重と裏千家の出会いは、明治5年4月に女紅場 […]

#24 「同盟姉妹校」の連携をもう一度
たまたま名古屋の古書店から「津保美第八開」(明治23年10月20日)という小冊子を入手した。この小冊子については、創刊号というか第一開に新島八重が「「つぼみ」について」という一文を掲載していることから、記憶に残っている […]

#23 イザベラ・バードの証言
まさに「灯台もと暗し」だった。同志社女子大学のホームぺージを開いて、宗教部だよりの中のチャペルアーカイブ「130年を語りつぐ」を見ると、そこに宮澤正典先生の「W.S.クラーク、イサベラ・バード、ヘルマン・ヘッセ」という […]
執筆者プロフィール
吉海直人(よしかいなおと)
同志社女子大学名誉教授。
1953年長崎県生まれ。國學院大學、同大学院を修了。博士(文学)。
専門は平安時代の文学、特に源氏物語や百人一首の研究をライフワークとしている。
同志社女子大学日本語日本文学科に35年勤務し、2024年3月に定年退職。
著書に『源氏物語入門〈桐壺巻〉を読む』(角川ソフィア文庫)、『百人一首の正体』(角川ソフィア文庫)、『定本新島八重伝』(武蔵野書院)などがある。
